ブログパーツUL5 三国武将 第十回 費イ 〜蜀の後期を陰ながら支えた心優しき名将〜 | 徒然ならない日々・・

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三国武将 第十回 費イ 〜蜀の後期を陰ながら支えた心優しき名将〜
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    まいど。張翼です。
    今回で第十回です。おめでとーーーー!!ありがとーーーー!!

    で、記念すべき第十回は

    費禕です。
    (今回もタイトルの漢字変換が出来ません。。)


    有名な武将なので、知っている方も多いと思いますが、管理人は武官では蜀の四猛将が好きですが、文官では費禕が好きなので書きます。理由はそれだけですww


    では、まずプロフィールから
    ■名前:費禕(字:文偉)
    ■出身地:江夏郡モウ県
    ■生没:?年〜253年
    ■能力(管理人評価):統率:80  武力:20   知力:90   政治:95  
    ■略歴:元は蜀の劉璋に使えていたが、劉備の蜀伐で劉備にそのまま仕える。孔明の片腕として重く用いられ、蒋琬と共に孔明亡き後、蜀の内政を支える最重要人物となる。また、外交官としても有名で、呉への使者として派遣された際、孫権に気に入られ、その後は費禕が呉を訪れることがしばしばだったという。孔明の北伐の際は蜀と現地戦場との使いとして活躍。最後はなぜか宴席で殺害されてこの世を去るというなんとももったいない終わり方をするが、彼は誰とも分け隔てなく、疑いを持たず接したといわれており、それが良くも悪くもこういった最後を迎えたとも言われている。


    では、どんな人物だったのでしょうか。

    〇徇命爾気隼務処理能力に秀でた名将
    孔明亡き後、彼は蒋琬と共に国政を担うことになるが、蒋琬が先に亡くなった後は、政治は費禕、軍事は姜維という構図になる。北伐を繰り返す姜維に対して『丞相(孔明)でさえ成し遂げられなかったことをわれわれで行うのは難しい。今は国を守り繁栄させていく時期であるからむやみに戦闘を起こすまじ。』と諌めていたという。とはいえ、軍事の全権を握っていた姜維に兵を与えないわけにも行かず、しかたなく毎回1万くらいの兵の出兵ををちょこちょこ許していたという。
    また、一方で、事務処理能力にかなり長けていたらしく(現代で言うと経理や人事などで欲しい人材w)、職務の途中で遊びに興じても、酒を飲んでも、その後完璧に仕事を続けれる人物だったという。

    ⇒イ靴気箸人よしが生み出した悲劇とその謎
    先述の通り、費禕はあっけない最後を遂げる。姜維の北伐の折に捕らえられ、そしていきなり左将軍に任命された郭循に殺されるのだが、彼は元々費禕ではなく劉禅を殺そうとしていたといわれているのですが、しかしなぜか費禕が殺されてしまいます。
    費禕は人を疑わず、誰とでも分け隔てなく接することが出来たので魏の投降者である郭循にも同じように振舞ったのだと考えられます。逆に言うと、費禕にはそういった隙が多くあったのだと思います。ある日、張翼が費禕に『おぬしは人を信じすぎる。少しは周りの警戒をしたほうがいい』と忠告したこともあるほど。
    殺害した理由はともかくとして郭循が殺しやすかったのは間違いないでしょう。だとすると郭循が最後に費禕をターゲットにした理由はなんだったのか?管理人もいろいろ調べたのですが、結局わからず仕舞いでした。

    ここからは管理人の妄想ですが、2通り考えてみました。まず
    ・郭循が蜀に降ってから数年経ってからの事件
    ・殺した現場は正月の宴席
    ・その年には郭循はすでに死んでいる可能性がかなり高い
    (その場で殺されたか処刑か)

    ということを前提に考えます。

    1つは『劉禅(もしくはその側近)の差し金』です。
    というのは、このころの蜀の内政は実質 費禕が行っていましたが、劉禅はそれをよく思っていなかったのではないでしょうか?実際、劉禅が政治を行っているという記載もありますので、或いは、費禕の助言がうっとうしかったのかもしれません。ただし、この場合は、劉禅が後ろ盾にいる前提なので、正月の宴席の場で殺すというのは考えにくいと思います。もしくは『かならず命は助けるからやってくれ』とか『うまくいけば魏に戻してやる』といった騙しを郭循が蜀の人間から受けていたのかもしれません。

    もう1つは『郭循の魏の武将としての最後の抵抗』です。
    蒋琬が亡くなり、姜維も北伐がうまくいっていない。劉禅の政治も微妙。優秀な武将が少ない。。姜維につかまってすぐに(いくら蜀が人材不足といえど)左将軍に任命されるほどの人物なので、近々蜀の情勢がどうなるかはある程度わかるでしょう。このまま蜀の武将として生きていて、魏に平定されるようなことがあれば、蜀へ一度降った自分は反逆者として殺される可能性は高い。それであればいっそ、魏の武将として一泡吹かせて散ろうと考えたかもしれません(自発的か或いは魏の間者からの示唆かはわからないが)。
    で、ターゲットとなると、劉禅にはガードがついているでしょうし、姜維を武力で倒すのは分が悪い。そうすると次に蜀で重要人物となれば護衛もつけていない丸腰でお人よしの費禕になった。というのは自然かもしれませんね。

    さて、最後に。
    蒋琬は実は北伐を考えていました。ただしそれが実現せぬまま死んでしまったのです。しかし費禕は北伐を一切考えてなかったようです(姜維を諌めるところを見てもわかりますね)。管理人は、費禕はすべてを見越して、次の新しい世代まで、或いは呉との完全な連合が再び構築されるまでは勝てないということを知っていたのでしょう。おそらく孔明が同じ状況下にあれば同様に北伐の時期をさらに延ばしたのではないかと思います。それだけ、費禕はよく情勢を見ていたし、その先見は孔明の片腕として孔明をしっかり見て学んできた能力の高さなのではないでしょうか。


    Posted by : 張翼 | 三国志 武将編 | 19:22 | comments(0) | -
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